てつはみの集積場

好きな物について書いていく、感想の集積場です

司書『グリム』についての書き殴り

どうも、てつはみです。

 

年の瀬なので(?)早速本題に入りましょう。表題通り、司書である『グリム』についてのお話もとい、書き殴りです。

いつもの事ではありますが、オタクの空想語りなのでそこは悪しからず。ただ、いつにもまして空想成分が多いかもしれません。

結局オチは「良く分かりませんでした!これからも偽りのアリスから目が離せませんね!」って感じになる、と先に書いておきます。

 

さて注意書きを。

※ここから先は偽りのアリス第二部三章プロローグまでのネタバレを含みます。ネタバレが苦手な方、自分の目で物語を見届けたい方などはブラウザバックをお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めちゃくちゃ悔しいんですけど!!!!!

・というのも前回のブログにて、グリムについてちょっと触れていたんですね。

ironeats.hatenablog.com

二部二章のオタク語りをしている記事の中より、該当箇所を抜粋します。

余談その3。グリム童話ってグリム兄弟が昔話などを編纂して作った童話集の括りなので、厳密にはグリムも作者ではないし、一人で出てくるのもちょっと気になる話ではあるんですよね。グリムが女の子になってるのはもう今更なので何も言いませんよ?

これですね。

グリムが一人で出てくるのは気になったのに、あと一歩届かなかった……っ!しかも考えれば司書は現実の人物がそのまま来てるので、アルターとはワケが違う事くらい思い付けたはずなのに完全に脳死で断定しているのがなお悔しい。
今更じゃないから何とか言ってくれ、過去の自分。

 

・今回の本題はグリムの名前についてです。
 [司書]グリム、本名を『シャルロッテ・グリム・アマーリエ』。前述の通り、実在する人物なのですがこの名前、どこかで聞き覚えがありますね。
 そう、『しらゆきべにばら』の”べにばら”のアルターシャルロッテと『人魚姫』の”人魚姫”のアルターアマリエです。クリムは無関係のはず……そうだよな?

 

 

・以下、シャルロッテ・グリム・アマーリエは生前死後関係無く司書グリムの表記で統一します。また、グリムの灰やグリムの羽根などのアイテムの存在から考えて司書グリムの存在も最初期から設定されていた、とします。
 そうじゃないと、シャルロッテとアマリエに引っ掛かりを覚える意味すら無くなってしまうので。

 

アルターたちの簡単な説明から行きましょうか。

 まずはシャルロッテ。彼女はグリム童話の『しらゆきべにばら』を原典に持つアルターです。原典が世に出たのはグリム童話の第三版の出版年、1837年です。

 続いてアマリエ。彼女はアンデルセン童話の『人魚姫』を原典に持つアルターです。原典が発表されたのは、『しらゆきべにばら』と同じ1837年です。

 

・「おいおい、アマリエの方は原典がグリム童話じゃないじゃん」と思われるかもしれませんが、現実においてグリム兄弟とアンデルセンの間には交流がありました。
 グリム兄弟が60歳くらいでアンデルセンが40歳くらいの頃、アンデルセンがグリム兄弟の家へ訪問しており、その後もなんやかんやで交流は続いていたとされています。

 また、二部二章にて司書グリムが親しげにアンデルセンの名前を出しています。

「…勝手に貴方程度を本物にしては、アンデルセンにも叱られますしね。」

(出典:「ビーンズ・デスゲーム」Page36.ビーンズ・デスゲーム)

 偽りのアリスの世界において司書グリムがグリム兄弟に代わり童話の創作、編纂をしていたのなら、アンデルセンが訪れたグリム兄弟の家に司書グリムも一緒に住んでいたとしても不思議は無いでしょう。

 そのため、アンデルセンが『アマーリエ』の名前を知ることは可能だった、とも考えられます。

 

・って、言いたいんですが、実は問題二つありまして。

 第一に上の出来事って1844年に起きた出来事で、『しらゆきべにばら』『人魚姫』が発表されたのは前述の通り、1837年なんですよ。
 『しらゆきべにばら』に関しては司書グリム本人が作者なので問題は無いんですが、『人魚姫』に関しては現状だと辻褄が合いません。

 第二に司書グリム、没年が1833年なんですね。ここまでの文章の価値がほとんど死にましたね。

 

・強引に解釈するのならば実は司書グリムとアンデルセンは1837年よりも前、もっと言うなら1833年よりも前に出会っていた、とかグリム兄弟の利益のために死んだ事にされてたけど実は生きていて、1844年の訪問の際にアンデルセンは司書グリムに出会いその姿を既作の『人魚姫』に重ねて空想を膨らませていたらそれが意図せず”アイデア”として塵箱世界に落ちてアルターとしてのアマリエになった、とかでしょうか。本当に強引だ……。

 

・強引な解釈を通した場合、何故アンデルセンは物語のヒロイン、それも悲恋のヒロインに司書グリムの名前を使った、もしくは重ねたのか。……分かりません。
 実はアンデルセンは司書グリムに恋をしていて~とか言えない事も無いんですが流石に論拠が無い荒唐無稽な話になってしまいます。仮定に仮定を重ねるのは美しくないってクリスも言ってました。クリスたちはそれで真実を導いていたんですが現実はそこまで甘くないので。

 

 

・なので、シャルロッテの話に移りましょう。こっちは司書グリムの存在がわかっている分、話しやす――くはないんですよね。だってグリム童話、司書グリムの創作と収集して編纂した作品の二つがある上にどれがどっちなのか分からないので、判定が難しい。更に司書グリム本人も結構来歴が謎っぽい。謎しかない。

 

・互いを好き過ぎてクロニカぶっ壊した『しらゆきべにばら』と互いを憎みすぎてクロニカぶっ壊した『ヘンゼルとグレーテル』が同じグリム童話なのを考えるとグリム童話のぶっ飛び方が良く分かりますね。

 

・ただ、『しらゆきべにばら』はほぼ確実に司書グリムの創作じゃないかと睨んでいます。というのも、現実のグリム兄弟は日常的に二人同じベッドで眠ったり、弟が結婚したらそこに兄も付いて来たり、まぁとにかくめちゃくちゃ仲良しだったそうで。
 この仲の良さ、まんまシャルロッテとヴィクトリアなんですよ。いや、まんまではない。聞きかじりの情報でしかないけど、流石に現実のグリム兄弟は違うはず。
 でも司書グリムにとって身近だったはずの人物と、それに似通っているアルターの存在を切り離して考えるのはちょっと難しい。それの片割れに当人と同じ名前が付けられているのなら尚更。

 

・では、どうして司書グリムはそんなキャラクターに自分の名前を付けたのか。これも仮定でしかないんですけど司書グリム、グリム兄弟からあんまり良い扱いをされてなかったんじゃないかな、と。論拠は司書グリムの発言から。

「グリム兄弟の妹……ただそれだけではありません。

 グリム兄弟は妹にすべての創作と編纂を行わせていたのです。

 そして、その栄誉だけを掠めとり、後世に名を残したのはお兄様たちでした。」

(出典:「紡がれる理」プロローグ もう一つの力)

 『行わせていた』『掠めとり』などの司書グリムの言葉のチョイスもそうですが、普通なら妹単独で、欲張るにしても三人で名を残せば良いのに兄弟二人だけの名前で発表する辺りグリム兄弟側からの印象も何となく測れます。

 

・仲睦まじいグリム兄弟と、一人孤立している司書グリム。しかも自分の成果はその兄たちの功績にされてしまう。そんな司書グリムは創作の中に”と仲の良い幸せな自分”を夢見たのでしょう。
 自分も兄たちと仲が良かったら。そうして生まれたのが『しらゆきべにばら』の失敗作であるシャルロッテヴィクトリア。この二人、プロフィール文から分かる通り、姉はヴィクトリアで妹がシャルロッテです。そして司書グリムも、グリム兄弟の妹です。
 仲の良さは完全に行きすぎなので、グリム兄弟を参考に書いていたとするならば、偽りのアリスの世界のグリム兄弟はあのレベルだったのかもしれません。怖い。

 

・メタ読みと願望も入ってますが、『ヘンゼルとグレーテル』も司書グリムの創作だったら良いなぁ。間近で仲睦まじい兄弟を見つつ、殺し合う姉妹を書いたんだとしたら内心かなりキレてたんだろうなって思えて面白いし、アルター・グレーテルに関しても『ああいう事を言いそうだと見えていた』とも取れるので面白い。

 

・作者と物語のキャラクターを結び付けるのがあまり好ましい行為じゃないのは分かっているのですが、アルターたちは全員魅力的なキャラクターなのでつい結び付けて考えてしまう。司書グリムとグリム童話アルターたちがわちゃわちゃするイベント、絶対いつかあるでしょ。

 

とまぁ、色々書いてきたんですが結論としては分かりません。でもわざわざ名前を合わせてたり、このタイミングでアマリエをイベントに出したり、疑わしい箇所は沢山あるので疑ってみました。

これで全部大外ししてたら司書グリムにはそれこそ気持ち悪い深読みだと罵られるのでしょうが、先の見えない物語を読む醍醐味ってこういう所だと思っているのでそれはそれで良しとしましょう。

 

それでは、また。